pandamental思考

車を運転しているとき、思考は巡る

7月27日

家族揃ってお休みの日。娘はようやく回復傾向にあるがまだ万全ではないので家でまったり過ごす。

現在我が家のリビングはなんとエアコンが故障中で冷気がほとんど出てこない。この暑い時期になんたることか。仕方ないので修理が来るまで二階のロフトのセカンドリビングと呼んでいる空間にいるのだが、ここは基本的にテレビをメインに配置してあるため、どうしてもテレビを映しがちになってしまう。Netflixでだらだらアニメなんか見てしまって、なんだか少し罪悪感。外は暑いし家で出来る遊びも限りがあるし仕方ないと思うことにする。

家族みんなで昼寝して(わたしは読書していたが)夕方本屋さんに行って数冊絵本と珈琲を買って帰ってきた。

お昼寝中の読書で、ファスト教養という本を読む。手っ取り早く教養を得るようなコンテンツが溢れ、わたしたちは享受している。果たして何の為に?ビジネスで役立てる為?

教養のある人、というのにはとても惹かれる。話していて引き出しが多く、あらゆる物事に一定の理解のある人。いわゆるモノを知らない人、というのはたしかにどんなに偉い人でもかっこいい人でもなんだか少し残念な気持ちになる。しかしその教養と呼ばれるものは、手っ取り早く本の要約をつかんだり概要を掴むだけで得られるものなのか。本質的な部分では違うと思う。付け焼き刃で手に入れたものは、人間的な深みには表れないと思う。

タイパとかくそくらえだなと思う。名作映画を10分のショートまとめで見て得られるものは10分の価値分だと思う。そこから100でも200でも得られるようなことがあれば別だが、果たしてその努力はしているのだろうか。

なんだか相容れない価値観だなと思う。

しかし自分も限られた時間でたくさんのものを得たいという気持ちはもちろんある。時間対効果で得られるモノを最大化できるようにしていきたいと思った。